空をみて

眠いなら寝るのがいいと分かっている(身体が言っている)が、この夜の静けさが一つの部屋のよう、日中身体を使っていないからだと聞こえてきそうだが眠いのに心の一部が心地いい夜の世界。ぼんやりと暗い部屋に見る水槽の水は硬いガラスのようで、島で見た外の暗さに反してカーテン越しに見るそこは明るい。

ある所で「月光」を練習され、ある所ではギターが弾かれて、ある所で「I love you」 が奏でられ、あるときに「なぜなら私は・・」の文字が打たれ storyが作られて 交わされているのだろうと妄想がよぎり陽気な「In the mood」を流してみる。

高校生の時だったか一時間ほど電話で友達と生きることについて話をしていたことを思い出した。考え方について加藤締三の本を交換したまま現在もある。そして今だ様々な本に手を伸ばす。余計な思考にゴミ又はある本にはハエという表現があったが、少し客観的になったのかこれに陥りそうになると本を開くようにした(矯正)。養老孟子さんの本の中に、歩いていて道に花が咲いているのに気づいたことは自分がまた新しくなっているという事、という内容があり少しだけ救われた気がした。

これからはこんなことも言っていられない気もしている。

明日が迎えられるとしたら有難いことだ。

この時期、また季節の変わり目で雨と初夏を思わせる暑さが時折現れる。紫やピンク、薄っすらと青い紫陽花がたくさん咲いていて綺麗だ。

それにしても眠い、当たり前だな。

(このような戯言を読んで下さりありがとうございます)

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