空をみて

今日は周りが少しでも明るいうちにあの陽がこぼれ落ちるエネルギーを受け取りたいと冷え切った空間を歩き出した。早速皮膚は緊張してこわばりを感じたが反対に内の流れは変わっていない事に気づきつついつも通り音楽を流した。

頭のほんと隅の方に漠然とした夕飯の献立、今年始めの早速の空回り、本日の出来事・・等ちらついていたが、葉を落とした銀杏の枝に沢山の次の芽が硬く準備しているのを見、空を突っ切っていきそうなユリノキの頭に当たった光の調和に少し見とれては桜の静かな動きを感じ、いつの間にか植え込みが消えているのに気がついたり、いちいち止まりながら歩いていたので特に手が冬眠から目覚めかけた蛙みたい?!に動きが鈍くなっていった。

ジョギングコースのプラタナスの枯葉は煎餅で小さい枯葉はあられ、陽が落ちて道路に沿った灯りは黄金糖、すこし向こうに見える赤信号はコンペイトウで薄暗くなると更に黒濃くみえる樹々と細かい枝が神経回路・・自分の頭中はこういうことか,,と浮かんだかと思うと、いつか見た番組で人の記憶できる脳の容量は約17Tb(大きいという事なんだろうが..)だから細かな要らない記憶は消して新しいコトを入れていくのが良いのだと妙に納得したこと、アニメの中 回し車でネズミが必死に駆けたのち息があがってようやく止まり舌を出していたシーンはまるで・・、「よーいドン」のピストルの音で反対に走り出した子供がいたな(恐らく初めて聞いて驚いたのだと思う)まるで・・

などと急に吹いた風で枯葉がぱらっと散るように脳裏によぎっていった。今日は歩くことに専念、と毎度歩き始めるが公園のモニュメントが見え始めた辺りから怪しくなる。

今年は陽が昇るSanpoもしたいと思う。さんぽはこころに窓を作ってくれる。

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