携帯の地図を見つついつもながら予定所要時間を5分上回り、その蟻の美術館の壁が見えてきた。クマガイモリカズ と横に名前が入っている。些か蟻か..と不思議な気持ちで彫刻を横にガラスの扉を開けた。
人物画、鳥 猫 蛙 花 太陽に月 蜂 書.. 薄暗い誰もいない空間に一枚一枚の絵が息づいている。顔も詳細も描かれていない猫やあぢさいや器であるのに絵であるのに ここに仙人と呼ばれていた画家がいるような今迄感じたことのない空間だ。
小学生の頃から絵が好きで東京美術学校に入る前は日本画を学び、油絵に興味が向いてからは学校に入ってからとある。長い間日本画の方が売れるであろうが油絵を描き続けるのでなかなか売れなかったのを友が見かねて知り合いに売ったりしてお金を工面していた。
本人といえば馬を飼い、鳥もたくさん、猫も飼ったものと野良と、庭には様々な植物が植えられ観察する。蟻は左足の2番目から歩き出すんだよ、と顔を地面につけ見、長男のお話からは猫に対してその身になって困らないように環境をつくるのだと心をくだいていた、とある。又人から「念ずれば花ひらく」という書を依頼され書くのは書いたがそんな事はないとメモをつけていたり、(本によると)自死した女性の姿さえも美しいと写生し作品にしていった..とあった。真っすぐに真っ正直に同じ目線で目の前を捉えている。
絵はそう難しく考えないで見たら それで一番よくわかるんじゃないかと思います
絵はことばと違いますから 言葉なんかになると 例えば青といわれたら青という言葉の範囲があるけれど 絵の場合はそのうちのどの青かということがあって
実際の青を描くんですからそこで決定するんです (「へたも絵のうち」より)
ほか、うまい絵よりへたな絵の方が変化していく楽しみがあっていいという意味のことを言っている。とても広く柔軟な優しい、ことばではやはり言い表せない(自分の言葉のつたなさ)寛大さを感じずにはいられない。
1F~3Fの部屋(どこの階だったか)の隅に趣味で弾いていたくすんだ深い茶のチェロが立てかけてあった。年季の入ったイーゼルも。いきもの達を慈しみしぜんの中に身を置いて音楽を奏でやりたいことに没頭されたしぜんな姿生涯97年。
きらりと優しい瞳で見つつ、ゆるぎない自身の見方を貫き通した強さを素朴さを感じた鑑賞、晩年に描かれたこれは自画像でもあると言っていた「夕暮れ」という作品、「日輪」こちらはクレパスで描かれた桃色の光の作品、のハガキを買って館を後にした。
道中、たわわに実ったざくろを見上げると軽そうな自由に広がる雲が浮かんでいた。