空をみて

ここ最近めっきり暑くなり冷房を使用して時々足が冷えていること、又午後の仕事ではゴム長靴を履いて足首をあまり使わない歩き方をするせいか、たまの夜中に足がつりそうになっていた。寝ながらにして「う、まずい、、」あの痛みを数分感じ足を摩り眠りから覚めてしまう事に億劫さが過ぎる。と未だつる前の状態、ある日「いやそんな事になってないよ、痛くない」と思ってみたところ何事もなく睡眠を続けられた事数回。これはよい回避法だと細やかに喜んでいた。

と、又ある日、季節柄八百屋でシソの葉が束で売られていたので子供の頃飲ませてもらったシソジュースを思い出し作ってみる事にした。あれはきれいな透明紫、炭酸で割ったり氷を2.3個入れて暑い日に頂くと気持ちスッキリ 好きな色が身体に取り込まれたような感じがしていた。

湯がいた葉は紫からくすんだ緑に変化し、その葉は佃煮にする。家にはそれを食べない子がいるのだが正体言わずに「ちょっと食べてみて」と勧めてみること「美味しい」と。そこから結局元に戻るのだが「これ何?海苔?」「?! そうだよ,,でなくさっき要らんって言ったシソの葉。」「?! じゃあこれでいいわ。」そのまま海苔を通せばよかったのかも..と思ったが後の祭りだった。

また気持ちがなくても嬉しいのかと錯覚をする鏡に映す作り笑顔がある。笑ってみると脳がそう感じると聞く、だから笑ってみてと。その作り笑顔を作ろうと意識するのも脳なのだが・・

過去の苦いあんなことこんな事は夢だったと(脳を)騙すことはできない(物語の世界では夢でほっとしたという結末になる)が、これからのことに暗雲がたちこめそうな時それを越える思考を意識しようと思った出来事だった。

「心頭滅却火もまた涼し」

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