姉が英語の先生から貰ってきたシャムの子猫が我が家での第一号。耳先と足先は濃いグレーひょろっと頼りなげな身体をしていたが澄んだ鋭い青い瞳は気品が感じられ、後に「たま」と名付けられるその顔をのぞき込んでいた。異国を思わせるオーラがあった。光の加減で瞳の大きさが変化することや暗い所にいると赤く光り、足音がたたずどういう時に鳴くのか..興味深い家族が増え毎日観察していたように思う。
それから数年後には、テニスコートで母を失った子猫がいると家に迎え入れることになり、次はバス停からずっと付いてきたと家に、公園の捨て猫、更に数年経ち又もやバス停で今度は1週間位だったか同じような所で日毎ふわふわだった白い毛が薄汚れて細くなり弱弱しくなっているのが分かったのを放っておけなくなりお迎えすることにした.. という具合で庭には保護犬、中では御妃のようなたまを筆頭に家族が増えていた。
現在はもう長く猫と共にしていない。ある時近くの公園で首輪ひとつでねこ散歩をしている人に会った。アメリカンショートヘア まん丸な顔に少し離れた丸い目ふたつとても愛らしく、人と同じテンポでその人の後ろ1M位を行くのを見ていると他の歩行者も足を止めていた。こちらはけんた君そしてもう一匹別種ユキちゃんというこもいた。交配用だったこの末路を知って保護したということ救われて良かったですねといった会話をした。
飼うという事は、個々に当然ながら命が宿っていて元気な時もあれば病気、複数いると大なり小なりストレス(猫側)を感じているかもしれない。何より経済的なことお世話する手間がかかることになる。どれだけ愛情をもって現実的にお世話できるのかが重要、その代わりといっていいのか生きものからもたくさんのぬくもりを与えて貰い、互いの違ったことばながら通じ合える見えない糸でつながったような信頼関係が生まれる。でいて互いがマイペースで良い感じ、心が刺激され豊かになる存在だと思っている。
*写真はスナネコです