空をみて

最近では陽が長くなり時計を見てはっととする事が多くなった。散歩するのがほぼ日課となっていて2週間前に見た’ヒキガエル横断注意’のポールを思い出し少し先の足元を確認しつつ歩を進める。(暑くなってもう終えているかもしれない)

日没間近の空の様子はみるみる変化する。周りの樹々の変化を見つつもあちらこちらに歩いていると太陽の光が右に左に見え、さっき迄は樹々の間上にあったかと思うと今度は下の方 一日のエネルギーの塊を放った後は一気に落ちていく。

著者:沢木耕太郎の本で朝日と夕日について書かれた中に、朝日よりも夕日に心を動かされるどちらかといえば夕日が好きだということ、又少年時代に具体的にはまだ悲しい思いもしていなかったはずなのに胸を締め付けられるような思いでそれを見ていたという内容があった。

夕日なのか夕陽なのか..  ただ見ているとそれぞれにあった一日の出来事が沈みゆく太陽と共に身体の中に落ちていくのを感じている気がする。締め付けられる思いというのはことばにならない感情がそうさせるのかと思う。自身は少女時代空は見ていたが夕日をしみじみと感じたことが殆どなかったような..遊ぶ為に朝日を待ち太陽と一緒一日を駆けぬけて後は落ちていた。

自分にとって朝日も夕日もどちらもとても惹かれる太陽自体に。なぜなら生きものすべての成長行動に変化を与え見るものを変え、又人の心にまでも光を射すことができるとてつもない力をもつ中心的存在だからである。いつも小さく凄いなとつぶやいている。

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