
最近”buenas noches mcho gusto..”というsin banderaが歌う歌詞の出だしを数年ぶりに聴いて挨拶から始まることに新鮮味を感じていた。そういえば”こんにちは..”で始まる歌もあったなと思いつつ、挨拶といえばある小学校の入口の掲示板には”挨拶を元気にしよう”と書かれていたこともあったなという事も思い出した。 自身も一歩外に出ると知った人に交わす。
一日の始まりである「おはようございます。」を、お辞儀をきれいに声は大きくはっきり丁寧にされる当時紙業社の社長さんがおられたのがずっと記憶にある。声もふさふさ眉のお顔も姿もくっきりと。それは会社に毎日入って来られた時にそこに視線をやっていなくて姿が見えなくても聞こえてくるので、あ 来られたなと分かり顔を向けると又私達が座っている所まで来られて同じ事をされていたのだ。仕事では何やら困難な状況の時もそこに勤めていた数年間はいつも同じ(確かに仕事場なので難しい顔は出来ないだろう)姿勢だった。
鮮明な記憶としてある理由にまず自身が最初の就職先であった事、それから後に他の職場を経験することになるのだがそういう人に会っていないからだろうと思う。何だか背広を着た武士を見ていたような気がしてくる。
一方、仕事場ではないが挨拶を風が吹くような感じで自然にしている国があったなと。知らない者同士だがエレベーターで乗合わすと軽くお早うございます、どちらか先に降りる際に後のひとにありがとう、という。レジでもどこかの入口でも何かのやり取りがあるとありがとう、と聞いていたし言うようになっていた。色んなネガティブな事もあったが日常でささやかなプラスのこと日本との違いを感じていた。そしてこの言葉は人との隔たりがなく交わされていたように思う。
更に一方、国内の会社のエチケットの題材として”挨拶は自分からちゃんとすることが大切”という記事を見る事があったのだが、改めて挨拶は社会の窓口だなと思うと同時こどもの頃からずっと言われないとできないものなのかと些か違和感(個人的な意見です)を覚える。しないといけないでなくてしぜんとそよ風みたいにできたなら葉っぱがゆれるように心も少しだけ動くのかもしれないなと感じている。
今は
ありがとう おやすみなさい いい夢を