空をみて

先日本棚を改めて見たら奥の棚から小学生の時の日記が出てきた。数年前実家が引っ越しをする際に自分の部屋を片付けに行った時大量のノートがあったのだった。今手元にあるのは数冊だが5年1組No.70とあって開けてみると升目いっぱいに比較的丸い字で何やら色々書いてある(まぁ日記なので)。6年生まで書いていたから恐らく更なる冊数にはなっていたんだなと思う。と、なぜか句読点の○はあるが点があまりないのが一見気になったが先生はそういう事よりちゃんと中身を読んで達筆な字で短くともコメントが書いて下さっていた。

ここから過去へタイムスリップ・・

一つの日記では・・題が”反省”となっていて先生がお怒りらしい状況が分かる。休み時間は外で遊ぶのがきまりだったらしく、外に出なかった人を立たせて理由を言わしていく場面。その中に私は入っていて理由は自分には用事があったということを言っているが同時に男の子が体操着袋を投げてきたので投げ合いになったという状況を説明していた。反省として残っている子に外に出るように言えばよかったという事と今日注意されたので今後は守れると思います、とある。

そこで先生のコメントは、”五年生できちんとやっていかないと六年生でむだな苦労をします”とある。これはきめられた事をしないと後でしんどい思いしますよ、という事だ。こういう休み時間の過ごし方にもきまりがあったんだなと思い返すと同時にあぁ学校らしいなと。それと遊びなさい、なんて幸せだなとも思う。

因みに通っていた小学校は校庭が広く、半分遊ぶ為に行っていたと思う。学校までは約1時間かかっていたが友達と一番に学校に着き、気に入った遊びの一つの”かいせんとう”という遊具を抑えるために運動場をほぼ毎日走っていた。それに自分達で又走って回しては勢いよくなった所をぶら下がったりよじ登って座ってこの傘の形のようなものが、ぶら下がる人の重力で傾いたり時には支柱にぶつかったりして、ある意味(現在では)少しだけ危ない感じだがそれがちょっとしたスリルで、この遊具が取り合いになる程の人気だったのだ。

と、話しが日記からそれてしまった。

内容で一番多い内容は国語の授業の内容、次にテストの反省(コメントに短い問が書かれていて、これ又間違えてなかったか?とあった。私の間違いを覚えているのを凄いなと思うと同時にコメントに書かれる位だからここを理解していない子として把握されていたか..)、算数の授業、行事、ピアノのこと、図工の絵の進み具合・・読みながら藤田先生は美術が専科だったこと、先生も入ってフットベースをして小柄な先生の走りが早くてライオン丸と生徒の間で呼んでいたこと、授業の際には少し背を丸めて少し厳しい表情で説明されていたこと・・を思い出した。

この懐かしさを感じさせる日記と現在の所感ブログ、少しの理屈が足された程度で感じている事や表現力は全く変わっていないな・・と。何だか今の自分の中で昔の自分が遊びたがっているような呼んでいるような不思議な気持ちにさせた日記だった。

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