空をみて

「この色はあなたの好みの彩でないかもしれませんが・・」とあるときある人から言われた。何気に言われたことなのだが自分にははっとすることだった。私に好みがあったんだとそういえばあったな・・という具合我に返った感じがした。ちょうど奥の方の自身の氷河みたいなものが溶け出した頃に聞いた、そこに新たな熱が入った感覚またはあなたは休火山だったのよと誰かから言われた感覚・・うーんうまく言い表せない。

毎日鏡を見る。起きて歯を磨くときそして髪を何とかまとまらせて時に今日は水がかかるかもとコンタクトを入れて・・覗いた時は浮かない顔、あーこりゃだめだとにゃっと笑ってみたり口角を上げてみたり何とか少しでも印象よい顔をインプットさせようとする。ただマスク時間が長いこともあってかそういうことは簡単に意識からはずれている。と、ある時仕事場に営業マンがやって来て言われたことがある。現場はみな同じ恰好をするのだが私はすぐ分かると言われたのだ。大きいから?ちょっと一体全体どういう風に見えるのか気になって尋ねてみると「なんかこうふわっとしているというか・・なんかすぐ分かるんですよね」それを聞いて少し戸惑った。なぜなら仕事中はそれなりに動き回っているか作業中は集中するのでふわっと見える、というのとは反対の様子なはずだから.. それは自分では見ることができない姿でもある。

この1年ほど気にとまった景色の写真をふしぎな感覚で撮っている。これが自分のきれいだと思うものなんだなと認識する。勿論きれいだと思って撮っているので当然なんだが・・

振り返るとこれまで自分はその景色の中に漂っていて陽が鋭く差せば白くなり、日が落ちれば暗くなり、雨が降ればその雨粒になって土に入りこむ、風が吹けば飛ばされて・・良い言い方をすれば適応上手でいれているんだと思ったりする。あれ、でもそういえばわたし**という名のこんなこと好きでこんなこと嫌でこんなこと苦手でこんなこと得意?なひと・・

今の行動・周りを見て感じていることは、おそらく数十年ぶりに鏡でじぶんの顔を映したようなこと、と言えばいいだろうか。こころから安心してふわっと笑っている顔を映したいなと思う。

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