自分のブログを度々見て読んで思い出したり反省したりして少し前の自身の姿が陽炎みたいに浮かび上がる。お蔭さま約1年が経っていたわけだが、最初は書きたいという一心と内容が公になる=頭中が丸裸になるような漠然とした不安があった。(未だにその思いは変わらないけれど)あと始めた時は、日本人だから平仮名だけで書いてみようと思いやってみたら見事読みづらくて却下したこと、それと書いている人物の性別が分からない一人の人間として書いてみようかと思ったがちょっとそれにも無理があったりして・・
それから感じた事を綴ってみて又読んで。約1年前はみぞれが降ったんだな、とかショック療法みたいなでき事があったんだ、483のテープが付けられた樹を見て一杯に色々感じたんだ、自分には大きな出会いもあって救われているんだ・・と。
そして又3月が終わろうとしている。去年より暖かくてみぞれなんてと思ったりするなんせ今は近くの公園の桜が見事で、今日も雨が降り続いて空は曇っているがそれに映えるように、白や薄いピンクの花びらを次から次へと開かせて雨の雫を先に溜め込んで所どころがキラキラしている。そして樹の幹には苔の緑がこれまた映えて前からあるのだろうが、勝手に春の芽生えだなと思ったりしているのである。
雨が降ると景色がしずかで葉っぱも花弁も幹も土もすべてがしっとりと落ち着いて見える。晴れたら又人の花も咲くわけだからこういった雨も違って見えて良いものだなぁと、自身にも染み入るみたいに感じている。
そう、もうマトリョーシカの小さな自分が出てきたな、と感じている。代表して「桜」の樹みたいにありのまま正直でいたい いられるような思いが増している今日この頃。
紙袋は減らせるかどうか・・
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