空をみて

山登りを除けばここ数年坂という場所にいない事に気がついた。元々2歳迄住んでいたらしい大阪の街の記憶はなくといってベビーベッドで寝ていて天井にガラガラと透明に色が見えかかったような良い音のするピンク色のもの、がぶら下がっていたという記憶はなぜか鮮明にある。

その後の奈良の家というのは20m程の坂の下にあって当然ながら出かける時にはそこを毎日上って(半分は走っていた)、上がった先左に曲がる手前で振り返り、下の門で手を振って見送ってくれる母に手を振り返していた。そしてその角にあった家には洋蘭を育てていた今は亡き上品なおばさんが住んでいて綺麗な花が咲くと、一輪でも少し重たい程立派な蘭を持ってきて下さったりしていた。一日の家から出た一歩は上り坂。(ついでにバス停までもゆるやかな上り。更に通っていた離れた学校もかなりの坂を上った先にあってよく走っていたからか足が鍛えられていた)

だいぶ経っての住居は大阪箕面という所。ここも上った先にあった。駅からの道中に昔有名だったという方の家があったりして白い壁に囲まれていかにも重厚な建物があった。回覧板で熊に注意というのがきた記憶がある。住宅地だったけれど・・なので今度は家を出ると急な下り坂を走り、仕事帰りは支度の荷物が増えてよろよろと歩き自転車の時は太ももがぱんぱんになって鍛えられているなという(少し)疲れた連日だったという記憶がある。

それから・・場所はかなり飛んでカラカス。家からAv.Sucreという小さな酒屋さん(パン屋さん)や中華料理店のある通りを下って駅に向かった。ここではアジア人が珍しかったから「Linda……」とからかわれたし治安が悪いと聞いていたからお金を密かに靴下に分けて持っていたりした。(今思えばそこまでしなくてもよかった気がする)所どころコンクリートが砕けていたりで足元悪く、といってやはり何やら空気の違いを感じつつも何があるのか・・ちょっとした興味(実際にはそうするしかなかった)が足を動かしていた。駅から電車を利用するという事がそこでは当時知り合った友達から「え、大丈夫?」と言われたりする位の緊張感だった。でも坂を歩いていたから気温は丁度いいがあの乾いた空気と鋭い陽射し、どんな人がいるかが少し分かった気がしていた。そう顔も無頓着だったから紫外線に焼けた顔色に変わっていたっけ。(後悔、、)

以降も点々と住居は変わっているが坂がない所へと変化した。バス停や駅までが比較的近くなって、今なんか近距離に買い物施設があって便利になっている。

坂があるから坂がないといって良し悪しがあるわけではないけれどある所にいればいたで人や物や空気や出来事・・感じる所がたくさんあるように思う。

自身の歩んでいる道は今住んでいるような便利さから全く離れた「坂」にいて、要領が悪いなと思ったりする。ただ先の見える「平坦」と「坂」があったら好奇心から「坂」を選ぶんだろうな。矛盾のようだがそうでない現在の平坦なところから見えた「坂」を思った。

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