無料アプリというのが便利で気がつけばダウンロードしたものが一つ増えては一つ消し又増えて・・を繰り返している。この2年程ヘルス管理として使っているのがあって、自身は歩数・ヘッドホンの音量(過去に連日最大の日が続いて注意が度々入っていた事があった)・消費カロリーを中心に見ている。他の項目には血圧から心拍数・・健診のように管理できるようだが自分の場合、いま何回位呼吸したんだろうとか心拍が早まったとか、見たらみたでばくばくしそうなので殆ど見ていない。(これは自分で数値を入れるのかも)なんせ歩数に関しては、どこかの公園に繰り出した時は1万5千歩位になる。コメントに今月は先月より768歩多いです、と出れば単純に「よし」と思ったりする。ヘッドホン音量管理も耳にとって有難い。昔々ライブ会場に行った時、こじんまりとした会場前の両脇には大きなスピーカーがあって、私はその横で自分の声も掻き消える程の音を聴いて、終わった後は耳は”ごわんごわん”になり会話しているつもりが音が聞こえなくなっていたのだった。次の日は何となく耳の疲れみたいなものは残ったものの通常に戻っていて安堵したのだった。その数年後も家で音楽を聴く時にはどうしても没頭して音量が大きくなりがちだったがさすがに今は色んな事に気がいくのでそこまでしないようになった。といえブレーキをかけてくれる機能には間違いなく助けられている。
現在は理由付け(データもあって)がはっきりしていることから数値で判断するされることが多くなったように思う。この数値以上はOK、以下は危険(もしくはダメとか)分かり易いのはテストや売上数値で判断、健診での基準数値からあと何だろう、数字という観点から時間管理、具材や調味料の量が決まる等・・「数値」というのがとても重要な基準になっている。あと判断する時(迷い困った時)に頼るのが「ことば」を使った情報というもので今は検索すると山ほどヒットしてそこから選んで方向性を見出したり決めたりでとても便利なことになっている。検索できること自体が大きなヘルプ機能みたいだと思う。
思うに自分は数と言葉から判断して、返せばもしかしたら決めるのは自身ということは分かってはいるが管理されているようにさえ感じてしまう。そう思った時これとは反対にある「自然」、いつも同じものがなくて都度変化して新鮮味があって答えを求めなくてよくて柔軟で、これに対して人それぞれが自由に感じられるせかい・・という、何だかうまく言い表せないがそういう中に浸かれる空間だから惹かれて歩いて、でもやっぱり数値に返って歩数を見ている状態なんだなと思う。
因みに本日は7621歩、かけた時間の割りに止まっている時間が多いので消費カロリーが低いということになった。数値は侮れないが眺めつつ自由に泳いでいたい。
*題に「数値のない世界」としましたが、見方を変えれば自然の一つ一つも数字で表せるのかもしれません