空をみて

仕事休憩中のこと、ひとりが最近やってきた加湿空気清浄機のフィルターそうじランプが点滅しているのに気がついて、これかな?と言って掃除を始めた。フィルターは空気用と加湿用と二か所あってこの短期間できれいにしないといけないとなると手間ですね、といって放置しておくと今度は体に良くないものねと終わってセット、してくれた。「あれ?点滅が消えない」「一回電源Offにしてみる?」「だめだ」「コンセントぬいてみよっか、だめ?」「うーんだめ。そうじ足りないのかな」「いや大丈夫そうだけど」・・等と言っている時に別のひとりが半分冗談「ぱんぱん叩いてみる?」と言った。「ははそれ昭和のテレビ」「あれそうすると又映ったんだよね」 と、お互いそれなりに世代が違うのだが輪の交わる所、過去に共通認識があることを知って同じ線状にいるような何とも言えない気持ちになっていた。

昭和のはなし1.

そして又ひとり「昭和だけどファミコンの接触が悪くなって側面ふうふうするとまた使えたんですよね。それをなぜか子供が今のスイッチでもやると使えたりして・・何で知ってるんだろ」「それ息の湿気が当たって良くないんじゃない?」と、ひとり。「スイッチってどこにふうふうするの?あの小さいカードに??接触悪くなったことないなぁ(あまりしないからか・・)」と私。

はなし2.

「そうそう現在の子ってダイアル式電話知らないよ」「そりゃ周りにないもんね」「あの丸い中を指で押してるの見た」「笑」「昔家で使ってたよ。私あのダイアル式電話今も使い分けて使いたいなと思うんだけどな・・」と私。

はなし3.

「あれもありますよ。子供のおもちゃなんですけどもう今はレジも金額を押すのでなくて、ピッピッって読み取るのになってる」「そうかぁ」「バーコードだから・・」「そうだねぇ」と納得する私。何だかまだありそうな気がするが自分の記憶を甦らせるのに時間がかかりそう・・

等と雑談をしながら自分の幼少期をこっそりふり返った。書いたような遊びは家にはなかったがままごとが好きで小さな陶器の食器は実際に近かったから気に入っていたしプラスチックの物も色が可愛くて何かかんか言いながら遊んでいたな・・レゴ、リカちゃん人形もぶつぶつ言いながら。あとは外遊びか、今思うとこの時からぶつぶつ癖が身についたのかもしれないな。

時の経過と共に変化していく暮らし。共に体も進化(変化)する。指で押している話しの時に実に指一本操作で何とかなっている便利さを再認識して、現代人の顎が狭くなって小顔化している事とか(遺伝もありますが)、大昔の人の骨から比べると運動量が減って軽量化しているといって食べる量は減っていないらしい・・ことを思う。極端ではあるけれど指だけを使う時間が多い暮らしをしているときっと指も細くなるだろうと思ったりする。野球をやっていた人の手は厚みがあって大きいし、料理人の手は手首から肘の筋肉に張りがあって個人的違いはあるけれどふっくらしていて、楽器演奏者の手はいかにも指先まで神経通わせていると感じる繊細な手をしている、あと思い出したのがタロット占い動画をする人の手の甲は白く きれいなマニュキュアが塗られている、それぞれの手をしていると感じる。

おもしろいなと思う。その暮らしに順応するよう意識的に変化させる場合もあるがしぜんと体が変化していく、体の運動量が減っている代わりに脳の運動?量は増えているかもしれないし、進化の反対を退化と言っているがこれは押したり引いたり、+と-、陰と陽、変化は見られるけれどこういうこと全体自体は不変なんだと思う。

にしてもダイアル式電話、呼び出し音が鳴ったらちょっとドキッとするし電話自体かけるのにもあの丸に数字が戻る間少し緊張したりするけれど、あの音と電話の形にひそかにずっと惹かれている。

昭和と令和を行ったり来たりした少しの時間だった。

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