空をみて

陽の傾きが雲に潜り込むと、両者によってきれいな風景がつくり出される。その時間は通りがかりの人も足を止めて見上げて魅了する。ちょうど動く絵画のようだがそういうのに収まるはずがなく、偶然の美を眺めて「静」なる動きを感じる。としているうちにカラスの声と共に日没になり、周りは紺色の世界へと変化する。当たり前にあると思っている太陽の力。

そして人工のオレンジの明りが灯り、暗さの中の安心感となって浮かびだすと同時に、木の陰がたくさん伸びその存在が増し、昼間に見た木の様子とは違った表情を感じさせる。物語りに登場する悪者は映像でよく不気味な笑いをしている。たくらみが成功することを想像しているから。たまにいる現実の誇張表現。違う意味で誰しも陰を合わせ持っていると思っているが、日常で違和感のある笑いを見たときに陰の濃さを感じてしまう。(ただ状況として笑うしかないとか、笑い療法をするとか提供の笑いの裏そういうのとは別もの)

と、こんな日常の光景にふと陰を思い起こす自分の考えが「陰」なのか。どこかから、いやあなたは「陽」でしょと返ってきそう。どちらもある。

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